大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分地方裁判所 昭和62年(ワ)12号 判決

原告

X1

X2

原告兼右両名法定代理人親権者父

X3

原告ら訴訟代理人弁護士

德田靖之

工藤隆

右德田靖之訴訟復代理人弁護士

荷宮由信

鈴木宗嚴

被告

三枝純郎

右訴訟代理人弁護士

牧田静二

伊藤喜代次

右牧田静二訴訟復代理人弁護士

洞江秀

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告X3に対し金二七四二万五〇〇〇円、その余の原告らに対し各金一二二六万二五〇〇円及び右各金員に対する昭和六一年一一月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告X3(以下「原告」という。)は、亡A(以下「A」という。)の夫であり、その余の原告らは原告X3とAの間の子である。

(二) 被告は、医師であり、肩書住所地において三枝肛門科医院(以下「被告医院」という。)を経営している。

2  医療事故の発生

(一)(1)Aは、昭和五五年頃から排便時脱肛を起こし徒手的整復の必要が認められたが、昭和六一年三月以降肛門周囲に硬結を認め、同年九月上旬に至って某医により肛門周囲膿瘍の切開排膿術を受けた。

しかし、症状は軽快、増悪を繰り返すばかりで一向に治癒しないため、同年九月二五日専門医である被告医院を受診した。

(2) 初診時の診察によると、肛門右後部の肛門小窩を原発孔とする痔瘻が肛門後部より左側坐骨にかけて広域かつ深部まで進展し、加えて脱肛の併存が認められ、深部広域複雑痔瘻及び脱肛と診断された。

そこで、被告は、Aに対し、痔瘻及び脱肛の根治手術が必要であることを説明し、その希望により根治手術を実施することとし、Aは同日被告医院に入院した。

(二) 被告は、同年一〇月二日Aに対し、腰椎麻酔下に痔瘻病巣の完全切除及び開放手術、脱肛の根治手術を実施した。

(三)(1) 被告は、同日から同月一五日までの一四日間にわたり、Aに対し、カナマイシン(ペニシリン系抗生物質)、サワシリン(同)等の内服薬の外に、別紙投薬状況一覧表記載のとおり薬剤を静脈注射により投与した。

(2) この間にAに投与された抗生物質セフメタゾンの総量は、三〇グラムであり、一日二グラムずつ(但し、同月二日は四グラム)を午前と午後の二回に分けて連続一四日間点滴静注されたものである。

(四) 被告は、手術創の治癒状況を含めて術後の経過が順調であるとして、同月二八日Aを退院させ、恵美子は近くの静岡グリーンホテルに泊まって同月二九日から同月三一日まで、毎日朝夕(二回)、創部処置のために通院したが、この間には何らの異常も認められていない。

(五) Aは、同年一一月一日午前一〇時頃被告医院を訪れ、被告の診察を受けたが、三七度三分の発熱があり、手術創付近の痛みを訴え、被告から蜂織炎(蜂巣織炎・蜂窩織炎)を起こしていると診断された。

被告は、これに対する治療として、直ちに、ネチリン(アミノグリコシド系抗生物質)を筋肉注射し、サワシリンを経口投与するとともに、セファメジン(セフェム系抗生物質)、そうでないとすれば再びセフメタゾン(同)を点滴静注することとし、再入院となった。

(六) Aは、右のとおり、同日午前一〇時過ぎ頃から、セファメジン二グラム、そうでないとすればセフメタゾン二グラムを含む点滴静注を受け、終了後から気分が悪いと看護婦に訴えたが、何らの対応をとられないままに、午後四時頃から更にセファメジン二グラム、そうでないとすればセフメタゾン二グラムを含む点滴静注を受けるに至った。

午後の点滴中には、看護婦が付いておらず、午後六時頃に発見された時は、Aはショック状態に陥っていた。

(七) Aのショック状態を確認した被告が直ちに行った治療は、静脈の確保とソリタT三号Gの輸液とカルニゲン(昇圧剤)一アンプル、ソル・コーテフ(副腎皮質ホルモン(副腎皮質ステロイド剤))一〇〇ミリグラムの投与のみである。

(八) その後、被告や応援の医師が、右ショックの改善のための措置を行ったが、Aは回復せず、同日午後九時二八分急性心不全により死亡した。

3  Aのショックの原因

(一) Aは、同年一一月一日、被告が点滴静注により投与したセファメジン、そうでないとすればセフメタゾンにより、アナフィラキシーショックに陥ったものである。

(1) セファメジン投与によるアナフィラキシーショック

Aに対し一一月一日午前中にセファメジン二ミリグラムが点滴静注され、これによってレアギン抗体が作られたところへ(アナフィラキシーショックの発生機序等については後述する。)、更に同日午後同量のセファメジンが投与されたためアナフィラキシーショックを起こすに至ったものである。

(2) セフメタゾン投与によるアナフィラキシーショック

仮に、一一月一日投与された抗生物質がセファメジンでなく、セフメタゾンであったとしても、Aに対し、一五日前に同一薬剤を投与しており、潜伏期を経て抗体が形成されたところへ、同日セフメタゾンが投与されたためアナフィラキシーショックを起こすに至ったものである。

(二) 仮に右(一)の事実が認められないとしても、Aは、手術創部からのグラム陰性菌の侵入によって蜂織炎に罹患し、細菌性ショックに陥ったものである。

4  責任原因

被告には、Aをショックに陥らせ、またショックを不可逆的なものへと重篤化させて急性心不全により死亡させたことについて、次のとおり診療上の過失がある。

(一) ショック発現後の被告の対応の過失

(1) ショック状態に陥った患者に対する治療は、一般的なショックに対する治療とショックの原因によって特に必要とされる治療とが要求されている。

一般的な治療は、どのようなショックの場合にも必要であり、①気道の確保、②静脈の確保と輸液、③薬物の投与に大別される。薬剤としては、昇圧剤、強心剤、利尿剤、副腎皮質ステロイド剤等の迅速適切な投与が必要とされている。

個別的な治療には、各ショック原因の除去のための治療と各ショック特有の症状に対する措置が含まれる。失血性のショックでは止血措置と輸血、輸液が、細菌性ショックでは感染巣に対する手術等の措置と抗生物質の大量投与が、アナフィラキシーショックでは気道の早期確保が特に必要とされている。

(2) ショックに陥った患者の予後は、一五分以内の治療の適否によって左右されるものであり、早期に必要な治療を施さなければ、ショックは不可逆的な段階に至り、以後はいかなる治療を加えても反応を示さない状態となってしまうものである。

(3) 以上から、患者がショック状態に陥った場合に、医師に要求される注意義務は次のとおりと考えられる。

即ち、患者がショック状態に陥った場合には、速やかにそのショックの原因の特定に努め、先ず、気道及び静脈の確保を行い、酸素の投与と輸液を継続しながら、強心剤、昇圧剤、利尿剤、副腎皮質ステロイド剤の適切な投与を行い、ショックの原因が特定できれば、その原因に応じた措置をとることであり、しかも、これらの諸措置を一五分以内にとるべきだということである。

(4) しかるに、Aのショック状態を確認した被告が直ちに行った治療は、静脈の確保(但し、これは、従前から点滴中だったものをそのまま継続したにすぎず、大量輸液に備えて新たに大静脈を外科的に確保した訳ではない。)とソリタT三号Gの輸液とカルニゲン(昇圧剤)一アンプル、ソル・コーテフ一〇〇ミリグラムを投与したのみである。

① 被告が酸素補給を開始したのは、既にショックが重篤化した午後八時であり、その際は鼻管による補給にすぎず(なお、鼻腔カテーテルによる酸素補給はショック患者には全く効果がない。)、酸素バッグも使用されず、気管内挿管もされておらず、気管内挿管がされたのは午後八時二五分になってからである。

② ショックの原因が細菌性であれ、アナフィラキシーショックであれ、その初期の時点で、副腎皮質ステロイド剤を大量(ソル・コーテフであれば少なくとも五〇〇ミリグラムから一グラム)を投与することが一般的な治療法として確立していたところ、本件において、ソル・コーテフ五〇〇ミリグラムが投与されたのは午後六時三〇分以降である。従って、その使用方法は、初期に大量投与することを怠ったと言うべきであり、その誤りは、一五分以内の措置が患者の予後を決定するとされるショックの場合においては致命的なものである。

③ ショック患者の救命の第一選択はアドレナリンの投与であるところ、被告は、午後七時三〇分頃になってイノバンを使用しているが、ノルアドレナリンを使用したのは、午後八時以降のことである。

(5) 以上のとおり、ショックに対する被告の対応は、その発現直後の時点において酸素補給、大量のステロイド剤とアドレナリンの投与を怠ったものであり、その結果として、Aのショックを不可逆的なものへと重篤化せしめた。

(二) アナフィラキシーショックの発来についての過失

(1) アナフィラキシーショックについて

① アナフィラキシーショックは、抗原・抗体反応によって遊離されたヒスタミンなどの化学作用による全身反応である。この反応の抗体はレアギン抗体と呼ばれる。

その発生機序は、局所的なアレルギー反応である気管支喘息や鼻アレルギーと同一である。

特徴的なことは、初回の注射では無症状であり、一定の潜伏期以後の再注射でショックを起こすことである。この潜伏期は、抗体を作るのに必要な期間であり、ショックを起こしやすい期間としては、一般に七ないし一〇日間隔で注射した時とされている。

② アナフィラキシーショックの前駆症状としては、口内異常感、硫黄に似た臭いがすることが多く、くしゃみ・しびれ感・冷汗・嘔吐・尿意・便意が先行し、間もなく胸内苦悶・呼吸困難・喘息発作が起こる。

そして、声門浮腫による窒息、チアノーゼが著明となり、血圧低下のため脈拍の緊張が低下し、更に重症になると意識混濁、失禁、瞳孔反射消失して死亡する。

③ アナフィラキシーショックの治療について、他のショックと本質的な相違はない。ショックが起こってから一五分以内の処置が患者の予後を決定する。

このため、ショックの救急薬を常備すること、注射後しばらく観察する習慣が絶対的に必要である。

(2) セファメジン投与によるアナフィラキシーショック

前記のとおり、Aに対し一一月一日午前中にセファメジン二ミリグラムが点滴静注され、これによってレアギン抗体が作られたところへ、更に同日午後同量のセファメジンが投与されたためアナフィラキシーショックを起こすに至ったものである。被告は、同日午後のセファメジン二グラムの点滴静注に際して、自ら又は看護婦によって、注射中のAの経過を観察することを怠り、点滴中のAを放置して、初期の段階でショックの発現を把握できず、このためショックに対する迅速な対応ができなかったものである。

(3) セフメタゾン投与によるアナフィラキシーショック

仮に、一一月一日投与された抗生物質がセファメジンでなく、セフメタゾンであったとしても、

① セフメタゾンの副作用と使用上の注意

セフメタゾンは、セファマイシン系抗生物質・セフメタゾンメタゾールナトリウムの注射用製剤である。

セフメタゾンの副作用としては、発疹、じん麻疹、発熱等の過敏症の外、腎毒性、腹痛、下痢等の胃腸障害等があるが、特に重要なものは、アナフィラキシーショックである。セフメタゾンの効能書には、稀にショック症状を起こすことがあるので、観察を十分に行い、不快感、口内異常感、めまい、便意、耳鳴、発汗等の症状が現れた場合には、投与を中止することと記載されている。

従って、その使用にあたっては、ショックなどの反応を予測するために、十分な問診をすることが求められており、また事前に皮膚反応をすることが望ましいとされている。

② 同年一一月一日に、被告がセフメタゾンを投与するにあたっては、一五日前に同一薬剤を投与しており、抗体が形成されうる潜伏期を経ている場合であるから、アナフィラキシーショックを起こしやすい状況にあった。

従って、被告としては、他の抗生物質を投与するか、仮に、セフメタゾンを投与するとすれば、事前の過敏症テストと投与後の経過観察の厳格な実施が義務付けられていた。

③ しかるに、被告は、アナフィラキシーショックの生じる可能性を全く予見せず、漫然同一薬剤であるセフメタゾンをAに投与したうえ、同日午前中の投与後に発生した悪心、尿意等の異常所見を見落とし、更に午後四時頃セフメタゾンを点滴静注して、Aをショック状態に陥らせしめた。

仮に、アナフィラキシーショックの発生自体について、被告に過失が認められないとしても、被告は、同日午後の点滴静注に際して、自ら又は看護婦によって、注射中のAの経過を観察することを怠り、点滴中のAを放置して、初期の段階でショックの発現を把握できなかったものである。

(三) 細菌性ショックの発来についての過失

(1) 被告が、一一月一日に初めて確認したとすると蜂織炎は手術創部からグラム陰性菌の侵入によるものとしか考えられない。すなわち、感染の原因となりうる直腸、肛門周囲の膿瘍はすべて本件手術によって切除されており、他に侵入経路は考えられない。

(2) Aは、一〇月二七日までは被告医院に入院しており、看護婦によって手術創部付近を消毒液によって消毒してもらっていたものであるが、被告の指示により退院した一〇月二八日以降は、自ら入浴時に清拭する以外にない状態となる。

このため、大便等に付着した大腸菌(グラム陰性桿菌)が死滅されず、完全に上皮化していなかった手術創の一部から軟部組織へと侵入し、蜂織炎を起こしたものと推定される。

(3) Aは、本件手術後も原因不明の発熱が継続し、一〇月二七日の段階ですら三七度を越す発熱があったものであるから、被告には、その原因が特定しうるか、熱が平熱に戻るまでは、入院を継続させて経過観察ないし治療を継続すべき義務があったといわねばならない。

しかるに、被告は、右義務に違反して「全国各地から受診を希望する患者が来院するため、遠隔地の患者で術後の危険の去った患者は、近くのホテルに宿泊して朝夕二回通院してもらうのを常例としている」との理由で、Aを退院させたものであり、その結果として、感染によりAの手術創付近に蜂織炎を生ぜしめたものである。

5  損害

(一) Aの損害

(1) 死亡による慰藉料一〇〇〇万円

Aは、三一歳の若さで、夫と二人の幼い子供を遺して突然死亡するに至ったのであり、その無念さは、筆舌に尽くしがたいものであるところ、これに対する慰藉料は一〇〇〇万円が相当である。

(2) 逸失利益 三一〇五万円

Aは、死亡当時、満三一歳の主婦であり、本件医療事故がなければ、少なくとも満六七歳まで三六年間にわたり稼働可能であり、右稼働期間中昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表による産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者の平均賃金年額二一八万七九〇〇円の収入を得ることができ、全期間中について生活費として収入の三割を必要とするから、以上を基礎として、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除し、一万円未満を切り捨てると、本件医療事故時における原価は三一〇五万円となる。

(3) 相続

原告らは、Aの死亡により、原告X3は右(1)、(2)の損害の賠償請求権の二分の一を、その余の原告らは四分の一ずつを相続した。

(二) 原告らの損害

(1) 慰藉料

各原告につき各二〇〇万円

原告らは、思いもよらぬ本件医療事故によって、妻や母を奪われ、その死に目にも会えなかったものであって、その悲しみもまた甚大であるところ、これに対する慰藉料は、各原告につき各二〇〇万円が相当である。

(2) 葬儀費用 九〇万円

Aの葬儀に要した費用のうち、原告X3において負担した九〇万円を本件医療事故と相当因果関係にある損害として請求する。

(3) 弁護士費用 四〇〇万円

原告らは、本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人弁護士らに委任し、その費用として認容額の一割を支払う旨を約したが、この金員は、原告X3において負担することとし、原告X3は右弁護士費用のうち、四〇〇万円を本件医療事故と相当因果関係にある損害として請求する。

6  よって、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告X3は、前記損害合計二七四二万五〇〇〇円、その余の原告らは、前記損害合計各一二二六万二五〇〇円及び右各金員に対する本件医療事故発生の日の翌日である昭和六一年一一月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実は認める。

(三)(1)  同2(三)(1)のうち、被告が別紙投薬状況一覧表記載の薬剤を投与したことは認める。なお、右薬剤が同期間中に投与された薬剤のすべてであるとの主張であれば争う。

(2) 同2(三)(2)の事実は認める。

(四)  同2(四)の事実は認める。

(五)  同2(五)のうち、Aが同年一一月一日午前一〇時頃被告の診察を受けたこと、三七度三分の発熱があり、手術創付近の痛みを訴えたこと、右診察の結果、蜂織炎を起こしていたこと、被告がこれに対する治療として、直ちに、ネチリンを筋肉注射し、サワシリンを経口投与するとともに、セフメタゾン二グラムを点滴静注し、再入院となったことは認め、その余の事実は否認する。

本件で投与された抗生物質は、セフメタゾンであって、セファメジンではない。

(六)  同2(六)のうち、Aが同日午前一〇時過ぎ頃から及び午後四時頃(もっとも、正確には午後四時三〇分頃である。)からそれぞれセフメタゾン二グラムを含む点滴静注を受けたこと、同日午後六時の時点でAがショックもしくはプレショックの状態であったことは認め、その余の事実は否認する。

Aが、午前中異常を訴えたことはなく、午後の点滴は午後五時四五分頃終了したが、その頃までAが異常を訴えたことはなく、異常所見も認められなかった。

被告医院の診察室、準備室、点滴室等はいわばワンルームを仕切った構造となっており、点滴室にいる患者に対しても常時、医師、看護婦の看護・観察が行き届くシステムとなっている。点滴中のAを放置したことはなく、ショック状態に陥ったAを発見したものではない。

(七)  同2(七)は認める。

(八)  同2(八)の事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。

臨床経過・症状から考えて、Aの陥ったショックがアナフィラキシーショックとは到底考え難く、細菌性ショック(グラム陰性菌ショック)無熱型と考えられる。

(二)  同3(二)の事実は認める。

4(一)  同4の冒頭の主張は争う。

(二)  同4(一)(1)の事実は、ショックに対する治療法として、原告らの主張するようなことが一般に説かれていることは認める。

(三)  同4(一)(2)、(3)は争う。

ショックはその原因により様々な病態を示すものである。従って、原告らが主張するように早期に治療が必要であることは争わないけれども、何分以内の治療の適否が患者の予後を決定するとか、不可逆的病変をもたらすとかはいえないはずである。

ショックの治療にあたって、病態の的確な把握とともにショックの鑑別診断が必要なことはいうまでもないことである。原告らが主張するようにショックの原因が特定できれば、その原因に応じた措置・治療ができるからである。

しかしながら、数多くの文献が示すように、ショックの原因としては様々なことが考えられるのであり、生体の個別性と絡んで、その臨床経過は多彩かつ複雑であり、しかも時々刻々変化して行くものである。ショックの鑑別診断が容易につく場合もあり、そうでない場合もあるのが医療の実情である。

(四)  同4(一)(4)の冒頭事実は認め、その余は争う。

気道の確保がなされていないのは、臨床症状から気道の閉塞、呼吸困難がなかったからである(自発呼吸が認められる以上、気管内挿管や気管切開等の医療的侵襲を加える必要がないことは当然であろう。)。事実、呼吸状態の変化に応じて、鼻腔カテーテル気管内挿管が採られている。

ソル・コーテフの投与量は必ずしも少ないとは認め難い。治療にあたった医師による臨床症状に応じた裁量に委ねられるべき問題である。

原告らは、本件ショックがアナフィラキシーショックであることを前提として、ノルアドレナリン及びイノバンの投与が時機を失した非難・攻撃を加えているが、昇圧剤等の投与は、薬効の緩徐なものから強力なものへと進むのが常道である。カルニゲン、エホチール等の昇圧剤を使用しても効果を示さないおそれがあるため、より強力な(従って、副作用も大きい。)ノルアドレナリン等の使用に踏み切った被告らの措置、投薬方法は何ら非難を受ける筋合のものではない。

(五)  同4(二)の冒頭事実は否認する。

(六)  同4(二)(1)の事実は、一般論としては認める。

しかしながら、生体の反応は複雑・多様であってショックに際して患者が常に必ず一定の病態・病型を示すものでないことは勿論である。

(七)  同4(二)(2)は争う。

(八)(1)  同4(二)(3)①のうち、セフメタゾンの副作用と使用上の注意について、同薬剤の能書(効能書)にほぼ原告ら主張のような記載のあることは認める。

(2) 同4(二)(3)②、③はすべて争う。

(九)  同4(三)は争う。

5  同5の事実は争う。

三  被告の主張

1  臨床経過について

(一) 術前の検査及び手術の経過

(1) 被告は、次のとおり術前の諸検査を実施した。

① 採血、採尿のうえ、静岡リハビリテーション病院内吉住臨床検査室吉住和郎に依頼して血液、尿一般検査を行った。

② 浜松医療センター消化器内科北川陸生医師に依頼して結腸造影検査を行った。

③ 清水市医師会の土屋房雄医師によって内科診察(心電図、肺レントゲン撮影等を含む。)が行われ、手術に差し支えないとの報告がなされた。

以上の諸検査並びに被告自身による予診、診察によって、被告は手術可能と診断し、手術日を同年一〇月二日と予定した。

(2) 被告は、手術に先立って術前の処置としてカナマイシンによる腸管の消毒、更に低残渣食に続いて非残渣食の投与併せて下剤等の投与による腸管の空虚化を済ませたうえ、同年一〇月二日腰椎麻酔(サドルブロック麻酔ペルカミンS使用)に手術中の出血防止のためボスミンを添加した麻酔剤キシロカイン0.25パーセントによる局所麻酔を併用して麻酔をかけ手術を実施した。執刀医は被告、東京癌研附属病院外科勤務の吉田正一医師が助手を勤めた。

(3) 被告は、同日午後一時一〇分頃手術を開始し、まず痔瘻原発孔たる肛門小窩を含め病巣部分を完全に切除して開放創となし、この創に糞便が貯留しないよう開放創の形を整え、次に、脱肛の原因になっていた三か所の痔核のうち、左後部のそれは前記痔瘻開放創に含めて切除し、右前部及び右後部の痔核はそれぞれの部位にて切除して午後二時手術を終了した。

(二) 術後及び通院の経過

(1) 前記のように手術は成功し、術後の経過も良好で、開放創も順調に上皮化して縮小する傾向を示したので、Aは同月二八日退院して、以後は市内の静岡グリーンホテルに宿泊して、診察及び術後処置を受けるため被告医院に通院して加療を受けることとなった。

(2) Aは、同年一一月一日午前一〇時頃の診察の際、三七度三分の発熱があり、また手術創付近の疼痛を訴えるので診察すると蜂織炎(フレグモーネ)の症状を呈していた。直ちに、ネチリンを筋肉注射し、サワシリンを経口投与するとともに、セフメタゾン二グラムを点滴静注し、再入院となった。

(3) その折り、Aが自覚症状として訴えたのは前記手術創付近の疼痛のみであり、アナフィラキシーショックの前駆症状としての口内異常感、口臭、めまい、悪心、嘔吐、尿意等の主訴はなく、また他覚所見としての発疹、血管浮腫等も全く認められなかった。

さらに、同日午後四時頃、被告の夕方の診察・処置に際しても、Aからはアナフィラキシーショックを思わせるような主訴はなく、ショック並びにその前駆症状は認められなかった。

(4) なお、前記診察の際、輸血針を使用して患部の穿刺を行ったが、膿汁は認められなかった。しかし、その際に採取した滲出液は細菌培養と抗生剤の耐性テストのため静岡医師会臨床センターに送り検査を依頼した。

血液検査のため採血を行い、前記吉住臨床検査室に検査を依頼した。

(三) 容態の急変及び死亡までの経過

(1) Aは前記の如く再入院し、被告医院の点滴室のベッドで加療を受けた。同日午後四時頃の診察の際、体温は三七度三分で局所の炎症は会陰部に拡大の症状を呈していたが、それ以外に特段の異常は認められなかった。前記午前一〇時の診察から午後四時の診察までの間、Aは排尿のため前記点滴室から便所まで数回歩行して往復しているが、何らの異常はなかった。

また、同日午後四時三〇分少し前に、看護婦の望月八千代が局所を冷やしている氷の交換のため前記点滴室に入った際にも、変わった様子もなく氷の交換に応じている。

(2) 同日午後四時三〇分頃、ネチリン一〇〇ミリグラムを筋肉注射のうえ、五プロのブドウ糖液五〇〇ミリリットルにセフメタゾン二グラムを添加のうえ点滴静注を開始した。

この後、午後五時過ぎ、被告が一日の診察、カルテの整理を終え、自室に戻る途中、点滴室に立ち寄り、点滴中のAともう一人の患者に声をかけ、頭を触り、脈を取ったが異常は認められなかった。

(3) 同日午後五時四五分を少し過ぎた頃、豊野広子見習看護婦と深沢依子見習看護婦とが、点滴室にいるAともう一人の患者の輸液セットをはずすため前後して入室した際、Aが尿意を訴えるので深沢が尿器を取りに行きこれを持参したところ、Aから「お尻が痛い、気持ちが悪い。」旨の訴えがあった。深沢が「お便所まで行けますか。」と尋ねたところ、「気持ちが悪いので、行けるかどうかわからない。」旨の返事であった。顔を見ると顔色が悪いので血圧を測りましょうと言って血圧測定器具をセットしてすぐ、看護室にいた小田巻京子看護婦を呼び、来て貰った。少し遅れて望月八千代看護婦も来室して、二人で導尿と血圧の測定をするとともに自室にいた被告に連絡を取った。

(4) 同日午後六時少し前、被告が点滴室に入り、血圧を測定すると最大八〇ミリメートル水銀柱、最小四〇ミリメートル水銀柱を示し、悪心・嘔吐があり、一見してショック症状を示していた。

直ちに血管を確保してソリタT三号Gを補液し、カルニゲン半筒(二分の一アンプル)を管注し、五分後、残り半筒を輸液中に入れて点滴静注し併せてソル・コーテフ一〇〇ミリグラムを投与した。

なお、この間、静岡厚生病院外科部長井上章医師、静岡市医師会大石恒夫医師(外科)、前記土屋房雄医師(内科)のそれぞれの応援を求めた。

そして、同日午後六時一〇分頃井上章医師、八時三〇分頃大石恒夫医師、九時五分頃土屋房雄医師が応援のため来診し、被告とともに、患者の救命処置にあたった。

(5) 同日午後六時三〇分頃、ソル・コーテフ五〇〇ミリグラム、カルニゲン一アンプル、エホチール(昇圧循環増強剤)一アンプルを投与した。

その後、最大血圧は一旦九〇ミリメートル水銀柱に上昇し、ショック状態は改善されたかのように見えたが、点滴を続行し昇圧剤の使用を継続しているにもかかわらず、同日午後七時三〇分頃から再び血圧は下降気味となった。

同日午後七時三〇分頃、ソル・コーテフ五〇〇ミリグラム、エホチール一アンプル、イノバン(急性循環不全改良剤)一アンプルを投与したものの、血圧は次第に降下し、同日午後八時頃には最大血圧六〇ミリメートル水銀柱となり、チアノーゼが発現した。

この頃から前記薬剤に加えて更に強力な昇圧剤ノルアドレナリン及びステロイドホルモン剤、イノバン等を投与するとともに酸素補給を行った。酸素補給は、最初、鼻腔カテーテルを用いたが、暫時呼吸の変化を認めたので、気道確保のため同日午後八時二五分頃からは、気管内挿管に切り替え、人工呼吸を行い、呼吸不全に対する酸素療法及び薬剤投与の諸治療を行って、その回復に努力した。更に、心不全の徴候が見られたのでこれに対する薬剤投与による治療を実施し併せて心マッサージも行った。

(6) 前記のように被告を含めて四名の医師が救命のために医学的に可能な限りの処置を採ったが、遂に病態は好転せず、Aは同日午後九時二八分死亡の転帰をたどった。

死因は、細菌(グラム陰性桿菌)毒素によるショックに由来する急性心不全と確定診断された。

2  ショックの原因について

(一) 被告が本件につきアナフィラキシーショックを否定する第一の理由は、昭和六一年一一月一日夕刻からAに起こった病変、臨床所見がアナフィラキシーショックと異なるという点である。

(1) まず、本件ではアナフィラキシーショックあるいはそのプレショックの特徴的症状といわれる皮膚発赤、赤斑あるいは呼吸困難、気管内挿管施行時にまま認められる咽頭浮腫等の臨床所見が全く認められない。

(2) 次に、抗原とされる抗生物質のセフメタゾン投与とショック発現時との時間的関係が説明できない点である。

確かに、原告らが主張するように、アナフィラキシーショックの発現時間については一定の幅があること、遅発型のショックも認められること等からこの点だけを問題としてアナフィラキシーショックを否定することは正確を欠くということは理解できるが、アナフィラキシーショックとは、一般に、「抗原投与後大部分が一五分以内に発症し、一時間以内に回復または死亡する一次性ショック」(乙第一二号証)、あるいは、「重篤な症状が前兆もなく出現するのが特色である。注射の場合五〜六〇分、平均三〇分以内に発症する。静注では二〜一一分で発症し、五〜六〇分がピークとなる。経口では数時間後が普通であるが、数分で起こることもある。」(乙第六号証)と説明されるのが普通であり、臨床的な経験としてもかなり抗原投与後、出現の早いしかも急激な経過をたどるショックと認識されているのであって、本件の臨床経過は明らかにこれらと異なるものを示している。

(3) また、被告から応援の要請を受けて同日午後六時一〇分頃被告医院に到着した井上章医師は、Aについて、重症感はなく、ショック状態という感じは全然受けなかった、被告医院に到着した頃のAの血圧は九〇ミリメートル水銀柱ぐらいだったが、六時三〇分頃ソル・コーテフ五〇〇ミリグラム、カルニゲン一アンプル、エホチール一アンプルを静注して血圧は一〇〇ミリメートル水銀柱以上に上昇したと証言しているのである。

これらの臨床経過、臨床所見は、アナフィラキシーショックの臨床像と明瞭に異なり、エンドトキシンショックの臨床所見を示しているものと考えられる。

(二) 更に、決定的と思われるのは、本件ショック発症に先立って、一一月一日午前一〇時の診察時、セフメタゾン二グラムが点滴静注されたが、何らショックは発現していないという点である。

原告らは、この点について「連続投与による抗体価の上昇によるアナフィラキシーショックが発現する場合である。(中略)セフメタゾンの一四日間の連続投与によって抗体価が蓄積、上昇しているところへ一一月一日午前中に更に二グラムが投与されて更に上昇し、同日午後の投与によってアナフィラキシーショックが発現したと解すべきである。」と主張するが、原告らの右主張は絶対に容認することができない。なぜならば、非科学的だからである。

確かに、本件の臨床経過によれば、Aに対し一〇月二日から同月一五日まで毎日セフメタゾンが投与され、一旦中止の後、一一月一日午前一〇時頃、再びセフメタゾン二グラムが投与され、そして同日夕方同量の二グラムが投与されたのであり、右中止の期間中抗体価が蓄積、上昇したこと、また、一般に七ないし一〇日の間隔を置いて注射したときにアナフィラキシーショックが起きやすいと言われていることは一応肯定するとしても、それならば何故、一一月一日朝のセフメタゾン投与の際に抗原抗体反応であるアナフィラキシーショックが起きなかったのか(原告らの右説明によれば、正にショックの危険は最も高かったのではないだろうか。)、何故夕方、同量のセフメタゾン二グラムを投与したときにショックが発現したのか全く説明がなされていないのである。

(三) 以上の理由から、本件はアナフィラキシーショックではなく、強いて推論すれば、本件は細菌性のショックであり、特に、一一月一日Aの患部を穿刺して得られた滲出液から検出された「グラム陰性桿菌によるエンドトキシンショック」と考えるのが合理的である。

(四) 本件におけるAの急死の原因である細菌性ショック(無熱型グラム陰性菌ショック)は、肛門直腸膿瘍及び痔瘻に続発する重篤なる壊死性感染症すなわちフォーニャ症候群の合併によって引き起こされたものと考えられる。

肛門直腸膿瘍及び痔瘻に続発する重篤な壊死性感染症の存在は、一八八四年初めてフォーニャ(Fournier)によって報告されたことから、フォーニャ症候群とかフォーニャの壊疸と呼ばれている。

(乙第一八ないし第二五号証の外国文献が示すとおり、)欧米においては、フォーニャ症候群に関して、いくつかの報告論文が公表されている。例えば、トーマス・B・メルビンらは一九六二年から一九六九年までの七年間において、米国フィラデルフィア総合病院の全科で膿瘍合併痔瘻によって死亡した一一症例を報告するとともに「膿瘍合併を伴う痔瘻の死亡例は一般にほとんど認識されていない。」が、「肛門直腸の感染症といえども患者を死亡せしめる力を持っていることもあり、痔瘻及びそれに合併する肛直膿瘍では死に至ることはないという通念を改めるべきである。」と警告している(乙第一九号証の一、二)。

また、ミネソタ大学のアロウ・R・ジョーンズらは、直腸の検査及び生検に際して劇的に異常な経過をたどったフォーニャの壊疸の一症例を報告するとともに「このフォーニャ氏病は、しばしば直腸の病変と関係があり、しばしば直腸周囲膿瘍、痔瘻又は異物による直腸穿孔により発生する。近年では一寸した肛門外科疾患に合併して本症が発生し死亡するに至ることがあると述べられている。」、「本症候群の臨床症状はさまざまである。その臨床症候群としては、嫌気性蜂織炎又は壊死性筋膜炎類似のものとあらわれる。……フォーニャ壊疸の壊死性蜂織炎はグラム陰性の好気性菌と嫌気性菌の協力作用で引き起こされる。」等と考察している(乙第二〇号証の一、二参照)。

同症候群の進展経過としては、肛囲より直囲、骨盤内諸臓器の周囲、更に上昇進展して腸腰筋膿瘍等の腹膜外に進展するいわゆる内攻型のものと、一方皮膚の表面に沿って広がってゆく外攻型のものとがあり、本症例では内攻型の経過をたどったため、臨床所見にふさわしからぬ急減期な経過を示したものと考えるのが合理的である。

フォーニャ症候群に関して、前掲乙第一八ないし第二五号証のように欧米においてはいくつかの報告論文があるが、我が国においては、学界における僅かな症例報告を除き報告論文といえるものすらなく、勿論、肛門外科成書にもその記載はない極めて特異な疾患である。従って、被告がその合併につき考え至らなかったとしても肛門外科専門医として何ら非難される理由はないものと考える。

四  被告の主張に対する原告らの認否及び反論

1(一)  同1(一)の事実は不知。

(二)(1)  同1(二)(1)のうち、Aが昭和六一年一〇月二八日退院し、静岡グリーンホテルに宿泊して通院を続けたことは認め、その余の事実は不知。

(2) 同1(二)(2)の事実は認める。

(3) 同1(二)(3)の事実は否認する。

(4) 同1(二)(4)の事実は不知。

(三)  同1(三)のうち、請求原因2(六)、(七)に反する部分は否認する。

(四)  同2は争う。

2  診療録、看護記録の不備について

(一) 被告医院は、保険診療を認めず、そのため如何なる第三者機関からも診療録の記載についてチェックを受けることがない。そのため、その記載は信じ難い程に杜撰である。

① 手術記録(乙第一号証の八)には、血圧、脈拍、体温、尿量の変化が全く記載されていない。わずかに一時八分の血圧と脈拍の記載があるのみである。

② 看護記録とおぼしきものは、乙第一号証の一四ないし一六であるが、入院期間中、血圧、脈拍は全く測定されておらず、患者の全身的な容態の経過が全く記載されていない。例えば、午前九時、著変なしとか、午後九時創部痛訴えるといった記載が皆無なのである。

③ このことは、通院時の外来カルテ〈診療録〉になると一層顕著であり、被告自身によって作成された部分は、存在していないという有り様である。

(二) このため、Aが再入院したとされる一一月一日の診療録を見ると、体温表の記載がないのは勿論のこと、再入院からショック発現に至るまでの間については、看護婦による記載が全く欠如しているのである。

特に、体温表は、入院患者全員について作成され、定時に発熱等の検査を記入することになっているもので被告医院の場合でも、朝夕に検温が実施されることになっていたはずであるが、一一月一日には全く作成されていないのである。

被告の主張するとおり、この日のAの蜂織炎が急速に重篤化していったというのであれば、このようなことは全くあり得ないはずである。

(三) このような記載の不備、とりわけ体温表の記載が全くないという事実は、この日、点滴中のAに対する看護婦の監視がきちんとされていなかったことの端的な反映という外ない。

(四) 更に、付言すれば、被告医院には、正看護婦が一名もいないのであり、、訓練された看護婦は望みべくもなかったということである。すなわち、渡辺証人によれば、一六床のベッドを有する被告医院には、准看護婦が三名と看護学生(見習い看護婦)が二名いたのみである。この点もまた信じ難いというべきであり、看護記録の不備と合わせて、被告医院における看護体制は全く杜撰であったという外ない。

(五) 以上からすれば、Aの場合、ショックに陥った午後六時より一五分程度以前の段階で、ショックの前駆症状としての悪心と尿意を訴えており、看護婦らがもっと丁寧かつ頻繁な看護をしていれば、これ以前の段階で、これ以外の前駆症状をも把握できていたことは明らかといわざるを得ない。

よって、前駆症状の欠陥を理由に薬剤によるアナフィラキシーショックを否定することは許されないというべきである。

3  セフメタゾンによるアナフィラキシーショック発生機序

(一) アナフィラキシーショックの特徴は、一定の潜伏期間後の再投与でショックを起こす点にある。この潜伏期は、抗体を作るのに必要な期間とされている。

アナフィラキシーショックの原因となるレアギン(IgE)抗体は、かなりの期間体内に存在し、同一薬剤の再投与で更にその抗体価を高めて、抗原抗体反応を起こしやすくするということである。

一般に、微量の抗原にさらされた場合、わずかしかその抗原に対するレアギンが起こらないのに、アトピー体質の患者の場合には、比較的大量に作られる。

しかし、アトピー素質のない者でも、同一薬剤の連続投与によって、レアギン抗体が大量に作られ、抗体価が蓄積、上昇しているところへ次の投与によって、アナフィラキシーショックを起こすことになるのである。

Aの場合、アトピー体質は認められず、セフメタゾンの一四日間の連続投与によって抗体価が蓄積、上昇しているところへ、一一月一日更に二グラムが投与されて、抗体価が上昇し、その後の投与によってアナフィラキシーショックが発現したと解される。

(二) アナフィラキシーショックの発現時間について

アナフィラキシーショックは、症候群であって、呼吸器系、循環器系、眼、皮膚、消化器系が単独または複合しておかされるが、死亡する症例では声帯の浮腫や低血圧が主で六分の五を占め、重篤な症状が前兆もなく、出現するのが特徴である。

注射の場合は五ないし六〇分、平均三〇分に発症する。静注では二ないし一二分で発症し、五ないし六〇分がピークとなる。経口では、数時間後が普通である。

つまり、アナフィラキシーショックは、その発現までの時間について、一定の幅があり、注射の場合でも一時間後の発症はあり得るということである。

まして、本件は、静注ではなく、点滴静注であるから、その投与は緩徐になされており、経口の場合と同様とはいえないまでも発現までに静注に比して一定の時間が経過するのは当然であり、発現までの時間が一時間であったとしても決して不自然ではないというべきである。

4  細菌性ショックについて

(一) 概念について

被告は、Aの死因について、敗血症ショック(グラム陰性菌ショック)無熱型と主張しているが、その臨床症状をアナフィラキシーショックと対比してみると、次の二点が特徴的である。

第一点は、基礎疾患として、(重症)感染症が存在すること。

第二点は、初発症状として、急激な体温の上昇、悪感・戦慄が一般的に認められること(請求原因4(二)(1)②に記述したアナフィラキシーショックの前駆症状に対比すると、この点が特徴的である。)。

(二) Aの症状とその変化について

Aの基礎疾患としての感染症は、外部に向かって開放された痔瘻手術部周辺の蜂織炎にすぎず、しかも当日朝確認されたばかりで、その後の経過も急激に重症化したというような状況にはなかった。エンドトキシンショックの初発症状として特徴的な、体温の急激な上昇や戦慄が全く認められていない。なお、尿意の訴えや急激な血圧低下といった経過は、アナフィラキシーショックの特徴的な症状である。

(三) 検査所見について

一一月一日午前一〇時過ぎ頃、採血されたAの血液検査(乙第一号証の二九ないし三一)には、井上証人によって敗血症の存在を疑わしめるような所見がないことが認められている。(同証言第二回四二ないし六五項)

このうち、重要なのは、次の二点である。

第一は、血液像の項目である。バソフィール(好塩基球、Baso)は正常であり、Stつまり好中球悍状核球もわずかに増加している程度であり、segつまり好中球分葉核球も正常値である。

特に好中球の増加がないことは、血小板が正常値であることとともに、敗血症を否定する重要な所見である。(乙第一五号証三六頁)

第二は、免疫電気泳動所見である。IgA、IgM、IgGにつき免疫グロブリン検査がなされているが(IgEにつき検査がなされていれば、アナフィラキシーショックの有無の資料になったと思われる。)、右検査結果によれば、IgA、IgMは基準値内にあり、IgGの上昇が見られ、免疫電気泳動写真(乙第二号証の三二)でも同様の所見であるところ、補体C3も正常であるということは、敗血症を否定する極めて重要な所見である。(乙第一五号証三六頁)

(四) 無熱型敗血症について

被告は、無熱型敗血症である旨主張する。

しかしながら、被告がその根拠として掲げる乙第一五号証によれば、無熱型敗血症は、未熟児や高年齢者に主として認められるもので、体温調節機能の未熟性や老化や低栄養によるものとされているのであって、三一歳で健康だったAの場合に全く妥当しないものである。

しかも、同書によれば、無熱でも原因不明の白血球の増多や減少、血小板減少、頻脈、過呼吸、低血圧、精神状態の変化等の症状は観察されるのであって、Aの場合には、低血圧以外には、全くこれらの症状が観察されておらず、無熱型敗血症とする被告主張には全く根拠がない。

(五) フォーニャ症候群について

(1) 被告は、Aの急死の原因を無熱型エンドトキシンショックであるとし、それは、フォーニャ症候群の合併によって引き起こされたものであると主張する。

その趣旨は、敗血症となる病因が別にあって、フォーニャ症候群が合併したため無熱型になったという趣旨であるのか、フォーニャ症候群が無熱型敗血症の原因であるというにあるのか明確ではないが、被告本人尋問の結果によれば、フォーニャ症候群によって(無熱型)敗血症を来たし、ショックに陥ったという主張のようである。

しかして、以下に述べる理由により、右主張は、事実に反し失当である。

(2) フォーニャ症候群は、それ自体として死因になる訳ではなく、重篤例では敗血症等に進展して、死亡するに至るというにすぎない。

従って、Aに前述のとおり敗血症の存在が認められない以上、フォーニャ症候群の有無自体を論じる意味はないといわざるを得ない。

(3) フォーニャ症候群の病態とAの症状とは全く異質である。

内攻型にせよ、外攻型にせよ、フォーニャ症候群の病態の特徴は次の二点にある。

第一は、罹患者には、免疫力の著しい低下をもたらす基礎症病(具体的には糖尿病、悪性腫瘍等)が存在しているということである。

しかしながら、Aには、このような基礎症病は全く存在していない。

被告は、大分赤十字病院でのAの既往を問題とするけれど、① 同女は、昭和五六年三月九日、敗血症の疑いで同病院に入院したが、同日の血液培養検査(乙第四号証四二頁)、同月一一日の同検査(同六八頁)でいずれも陰性であって、敗血症は否定され、そのうえで病状も完治して退院している(以上、久下証言)。② 被告は、本件手術に先立って、慎重に術前の諸検査を実施し、血液・尿の一般検査、結腸造影検査、土屋医師による内科診療、被告本人による診断等を経て、異常のないことを確認しているのであって、その主張は全く根拠がない。

第二は、感染から敗血症の発現あるいは死亡までの期間が長いということである。

例えば、乙第一九号証を見ると、初発症状があってから創部の切開術までの期間ですら、合併がある場合で一四日、ない場合で一一日となっているほどであり、乙第一八号証の死亡例を見ても、敗血症で入院後、死亡まで一番短い患者で三日後である。被告自身、「大体五日ですね。発症してから(本件のように)こんなに急に来ることはないですね。」と説明しているところである。

ところが、本件では、前日つまり一〇月三一日夕方にも被告はAの手術創を診断しているのであり、その時は全く異常がなかったというのである。

従って、本件のショックに至る状況は、報告されている限りのフォーニャ症候群の敗血症の事例とは全く異質である。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  当事者について

請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  医療事故の発生について

1  初診から手術までの経過

(一)  初診時の主訴及び所見

(1) Aは、昭和五五年頃から排便時脱肛を起こし徒手的整復の必要が認められたが、昭和六一年三月以降肛門周囲に硬結を認め、同年九月上旬に至って某医により肛門周囲膿瘍の切開排膿術を受けた。

しかし、症状は軽快、増悪を繰り返すばかりで一向に治癒しないため、同年九月二五日専門医である被告医院を受診した。

(2) 初診時の診察によると、肛門右後部の肛門小窩を原発孔とする痔瘻が肛門後部より左側坐骨にかけて広域かつ深部まで進展し加えて脱肛の併存が認められ、深部広域複雑痔瘻及び脱肛と診断された。

そこで、被告は、Aに対し、痔瘻及び脱肛の根治手術が必要であることを説明し、その希望により根治手術を実施することとし、Aは同日被告医院に入院した。

以上の事実(請求原因2(一))は当事者間に争いがない。

(二)  術前の検査及び手術の経過

請求原因2(二)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、成立に争いのない乙第二八、第三〇号証、被告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一ないし一一、一三ないし一五、第二号証の一ないし一一、一三ないし一五、第三号証及び被告本人尋問の結果(第一回)を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 手術に先立ち、採血、採尿のうえ、静岡リハビリテーション病院内吉住臨床検査室吉住和郎に依頼して血液、尿一般検査が行われ、白血球(WBC)三三〇〇/立方ミリメートル、赤血球数(RBC)四四五万/立方ミリメートル、血色素(ヘモグロビン、Hg)13.7グラム/デシリットル、ヘマトクリット(Ht)41.9パーセント、血小板(PL)一一万/立方メートル、蛋白分画アルブミン(Alb)分画値54.4、ガンマーグロブリン(γ)分画値二九パーセント、CRP(C―反応性蛋白)陰性、RAテスト3プラスなどの報告がされ、また、浜松医療センター消化器内科北川陸生医師に依頼して結腸造影検査が行われて問題がないとの報告がされた。更に、清水市医師会の土屋房雄医師によって内科診察(心電図、胸部単純レントゲン撮影を含む。)が行われて手術に差し支えないとの報告がなされた。

以上の諸検査並びに被告自身による予診(その際、Aは昭和五六年三月九日敗血症で二か月入院したこと、薬物アレルギーはないことを回答した。)、診察によって、被告は手術可能と診断し、手術予定日を同年一〇月二日とし、手術の前日にはAから右手術に関する誓約書(手術承諾書)を提出させた。

(2) 術前の処置として腸管内を消毒するためのカナマイシン、サワシリンの経口投与のほか、アドナ(止血剤)、セフメタゾン、リンゲル(輸液)五〇〇ミリリットル、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルを投与し、更に低残渣食に続いて非残渣食の投与併せて下剤(コーラック二錠)等の投与による腸管の空虚化を済ませたうえ、同年一〇月二日午後一二時五五分、腰椎麻酔(サドルブロック麻酔ペルカミンS1.2ミリリットル使用)を開始し、それと併用して午後一時〇八分手術中の出血防止のためボスミン(昇圧剤)を添加した麻酔剤キシロカイン0.25パーセントによる局所麻酔を開始した。

(3) 被告を執刀医、東京の癌研附属病院外科勤務の吉田正一医師を助手として同日午後一時一〇分頃手術が開始され、まず痔瘻原発孔たる肛門小窩を含め病巣部分を完全に切除して開放創となし、この創に糞便が貯留しないよう開放創の形を整え、次に、脱肛の原因になっていた三か所の痔核のうち、左後部のそれは前記痔瘻開放創に含めて切除し、右前部及び右後部の痔核はそれぞれの部位にて切除して午後二時手術を終了した。

(4) なお、癌化が認められたときは直腸切断等の処置を採るために、切除した病巣部分を、静岡済生会病院に送付して同病院星昭二病理部長に依頼して病理組織学的検査が行われたが、癌化は認められない旨の報告がなされた。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  手術後から退院、再入院までの経過

(一)  請求原因2(三)、(四)の各事実、同2(五)のうち、Aが同年一一月一日午前一〇時頃被告の診察を受けたこと、三七度三分の発熱があり、手術創付近の痛みを訴えたこと、右診察の結果、蜂織炎を起こしていたこと、被告は、これに対する治療として、直ちに、ネチリンを筋肉注射し、サワシリンを経口投与するとともに、抗生物質を点滴静注し、再入院となったことは、当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実と、前掲乙第一号証の一、一五、第二号証の一、一五、第二八、第三〇号証、被告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一二、一六、一八、一九、二四、二六、二九ないし三二、第二号証の一二、一六、一八、一九、二四、二六、二九ないし三二及び証人渡辺八千代の証言(後記信用しない部分を除く。)、原告X3及び被告(第一回、二回(後記信用しない部分を除く。))各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告は、同月二日から同月一五日までの一四日間にわたり、Aに対し術前・術後感染防止のため、カナマイシン、サワシリンの経口投与の外に、別紙投薬状況一覧表記載の薬剤を点滴静注などにより投与した。

この間にAに投与された抗生物質セフメタゾンの総量は、三〇グラムであり、一日二グラムずつ(但し、同月二日は四グラム)を午前と午後に二回に分けて連続一四日間点滴静注された。

(2) 手術後、手術創の疼痛があったものの術後の経過が良好で、開放創も順調に上皮化して縮小する傾向を示した。入院期間中、最高三七度七分(一〇月一五日夕)の発熱があったが、退院近くは三七度前後に落ち着き、同月二八日三七度二分の発熱があったが、被告は退院に問題はないと判断して同日Aを退院させ、Aは被告医院の近くにある静岡グリーンホテルに宿泊して同月三一日まで、毎日朝夕(二回)手術創の管理のために通院することになった。なお、被告医院は全国各地から受診を希望する患者が来院するため、遠隔地からの患者で術後の危険の去った患者には退院して被告医院近くのホテルに宿泊して朝夕二回手術創の管理のために通院して貰うのを常例としていた。

通院期間中、退院時と同様の発熱があったほかは、Aに異常所見は認められなかった。ただ、Aは、同月三〇日頃から看護婦に手術創の疼痛を訴え、同月三一日、後一週間位で帰れることとともに、手術創の疼痛は未だ軽快していないこと、風呂に入りにくいことなどを原告X3に対し電話で報告した。

(3) Aは、同年一一月一日午前一〇時頃、被告医院を訪れ、被告から診察を受けたところ、三七度三分の発熱があり、手術創付近の痛みを訴えて、手術創を中心としてその周囲に楕円状の蜂織炎が認められ、被告からその旨診断された。

被告は、これに対する治療として、直ちに、ネチリンを筋肉注射し、サワシリンを経口投与するとともに、抗生物質を点滴静注することとし、再入院となった。

右診察の際、採血を行い、前記吉住臨床検査室に血液検査を依頼し(グロブリン検査については右吉住臨床検査室から株式会社スペシャルレファレンスに再依頼)し、一時間後の一一時頃直ちに検査できた白血球(WBC)一万四六〇〇/立方ミリメートル、赤血球数(RBC)四四九万/立方ミリメートル、血色素(ヘモグロビン、Hg)13.5グラム/デシリットル、ヘマトクリット(Ht)41.2パーセント、血小板(PL)20.6万/立方メートル、好中球悍状球(St)三三パーセントの電話報告を受けた。

また、輸血針を使用して患部の穿刺を行ったが、膿汁は認められず、開放手術までは未だ必要なしと診断したが、その際に採取した滲出液を細菌培養と抗生物質の感受性テストのため静岡医師会臨床検査センターに検査を依頼した。後日(一一月六日)グラム陰性桿菌(三プラス)が検出され、セファメジン(略号CEZ)、サワシリン(略号AMPC)などは感受性がなく、ゲンタマイシン(略号GM)などが高度感受性を示したことの報告を受けたが、カナマイシン(略号KM)、ネチリン(略号NTL)、セフメタゾン(略号CMZ)については、感受性テストの指示自体がされていない。

以上の事実が認められ、証人渡辺八千代の証言及び被告本人尋問の結果(第二回)中右認定に反する部分は、前掲各証拠及び前記認定事実に照らし信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、証人久下衷の証言(第一、二回)中には一一月三日午前九時にAの遺体を見分した際、手術創付近に異常はなく、死亡当日においても蜂織炎が存在したとは到底考えられないとの供述部分があるが、右供述部分は前掲各証拠に照らしにわかに信用できない。

3  再入院後から容態の急変、死亡までの経過

(一)  請求原因2(六)のうち、Aが同日午前一〇時過ぎ頃から及び午後四時頃からそれぞれセフメタゾンか、セファメジンかいずれかの抗生物質二グラムを含む点滴を受けたこと、同日午後六時の時点でAがショックもしくはプレショックの状態であったこと、同2(七)の事実、同2(八)のうち、Aが急性心不全のため同日午後九時二八分死亡したこと、被告を含め四名の医師が救命のための措置を講じたことは当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実と、前掲乙第三、二八、第三〇号証、被告医院の写真であることに争いのない乙第五号証の一ないし一一、被告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第一号証の二〇ないし二三、二五、第二号証の二〇ないし二三、二五、証人渡辺八千代、同井上章の各証言及び被告本人尋問の結果(第一回、第二回)を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) Aは前記の如く再入院し、被告医院の点滴室のベッドで横になって午前一〇時過ぎ頃からセフメタゾン、又はセファメジン(そのいずれであるかは後記(四)において判断する。以下同じ。)二グラムを含む点滴を受けるなどの治療を受けた。被告医院の診察室、準備室、点滴室等はワンルームを仕切った構造となっており、点滴室のドアは常時開放されて準備室から点滴室内部を見ることはでき、准看護婦らは、用事がない限り点滴室にはおらず、準備室において待機していることが多い。

Aは、右点滴終了後も点滴室のベッドで横になったまま、昼食も採らずに過ごし、午後四時の診察まで診療はされなかったが、二時間おきにAの局部冷却のための氷の交換がされた。望月八千代准看護婦(現姓渡辺。以下「望月准看護婦」という。)は、午後四時までに氷の交換に二度点滴室に入ったが、患部の疼痛を訴えるほかにはAに異常はなかった。

(2) Aは、午後四時の診察の際、准看護婦らの介助を受けて、診察室に歩いて移動して被告の診察を受けたが、三七度三分の発熱があり、患部の疼痛を訴え、蜂織炎は膣の上部まで拡大の症状を呈していたものの、それ以外の異常所見は認められなかった。

Aは、午後四時三〇分頃から、セフメタゾン又はセファメジン二グラムを添加したソリタT三号五〇〇ミリリットル、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を受けた。

被告は、午後五時過ぎ、自室に戻る前に点滴室に入り、Aの額や頬を触って発熱のないことを確認するなどして自室に引き上げた。

(3) 同日午後五時四五分頃、深沢依子見習看護婦(以下「深沢見習看護婦」という。)が、点滴室にいるAともう一人の患者の終了した点滴をはずすため点滴室に入った際、Aから気持ちが悪い旨の訴えがあったので、血圧測定したところ、血圧の低下が認められたので、看護婦室にいた望月准看護婦と小田巻京子准看護婦(以下「小田巻准看護婦」という。)を点滴室に呼んだ。小田巻准看護婦が血圧測定をするとやはり血圧の低下が認められ、最高血圧が一〇〇ミリメートル水銀柱を割っていたので、直ちに自室にいた被告に連絡を取った。なお、この時点の呼吸、脈拍は測定、記録されていない。

(4) 同日午後六時少し前に連絡を受けた被告が点滴室に入り、Aの血圧を測定すると最大血圧八〇ミリメートル水銀柱、最小血圧四〇ミリメートル水銀柱を示し、顔色は青白く、悪心・嘔気があり、脈拍はしっかりしてはいたものの(脈拍数の測定はしていない。)、ショック症状を呈していたため、直ちに静脈を確保してソリタT三号G(輸液)を補液し、カルニゲン(昇圧剤)二分の一アンプルを管注し、五分後、残り二分の一を輸液中に入れて点滴静注し、併せてソル・コーテフ一〇〇ミリグラムを投与し、それともに経鼻カテーテルにより酸素供給を開始した。

この間、被告は、静岡厚生病院外科部長井上章医師(以下「井上医師」という。)、静岡市医師会大石恒夫医師(外科)、前記土屋房雄医師(内科)の応援を求め、井上医師が午後六時一〇分過ぎ頃、大石恒夫医師が午後八時三〇分頃、土屋房雄医師が午後九時五分頃それぞれ来院し、被告とともに患者の救命処置にあたった。

(5) 井上医師来院時、Aに重症感はなく、応答もでき、最大血圧九〇ミリメートル水銀柱位に上昇していたが、被告と井上医師は共同して、午後六時三〇分頃、さらにソル・コーテフ五〇〇ミリグラム、カルニゲン一アンプル、エホチール(昇圧循環増強剤)一アンプルを投与した後、最大血圧は一旦九〇ミリメートル水銀柱以上に上昇するなどし、ショック状態は改善されたかのようにも見えたが、点滴を続行し昇圧剤の使用を継続しているにもかかわらず、午後七時三〇分頃から再び血圧は下降気味となった。この間、体位変換をして蜂織炎の認められた患部を触診し、穿刺したが、膿は検出できなかった。

午後七時三〇分頃、ソル・コーテフ五〇〇ミリグラム、エホチール一アンプル、イノバン(急性循環不全改良剤)一アンプルを投与したが、血圧は次第に降下し、午後八時頃には前記薬剤に加えて更に強力な昇圧剤ノルアドレナリン三分の一アンプルを管注、同二アンプルを点滴静注したが、血圧上昇せず、最大血圧は六〇ミリメートル水銀柱に下がり、チアノーゼが発現し、肺水腫を思わせる嘆鳴が認められたことから、その時点で気道確保を必要と判断して、午後八時二五分頃井上章医師により気管内挿管が行われた。午後八時三〇分過ぎにはAの意識が消失し、心電図を取り始めたが、脈拍あるも測定不能となり、被告らは、ソル・コーテフ五〇〇ミリグラムとイノバン三アンプル、午後八時四五分頃ボスミン二分の一二アンプル管注(投与)した。午後九時五分頃脈拍微弱となり、被告らは、ネオフィリン(強心剤)一〇ミリリットルとボスミン二分の一アンプルを投与したが、瞳孔散大、チアノーゼなどの症状が現れ、午後九時一五分頃ソル・コーテフ五〇〇ミリグラムを投与し、人工呼吸、心マッサージの施行にもかかわらず、遂に病態は好転せず、Aは午後九時二八分死亡した。

被告は、前記三名の医師とAの死因を協議し、アナフィラキシーショックの臨床症状がないとしてアナフィラキシーショックを否定し、また、出血もなく、心電図には心筋梗塞の徴候も認められなかったことから出血性ショック、心原性ショックをそれぞれ否定し、その結果、エンドトキシンショック(細菌毒素によるショック)よる急性心不全とし、その原因として免疫不全の疑いがあると診断した。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  昭和六一年一一月一日投与された抗生物質について

原告は、昭和六一年一一月一日午前、午後の二回投与された抗生物質剤は、セフメタゾンではなく、セファメジンである旨主張するので、検討する。

(一)  確かに、前掲乙第一号証の一八、乙第二号証の一八によれば、診療録には、一一月一日の投与薬剤として、「抗生剤強力に、セファメジン一日四グラム」の記載があり、また、前掲乙第一号証の二六、乙第二号証の二六によれば、細菌検査報告書には、細菌薬剤感受性を検査すべき薬剤としてセファメジン(略号CZX)の指示の記載があるが、セフメタゾン(略号CMZ)の指示の記載はない。

しかし、前掲各証拠によれば、右診療録には、「抗生剤強力に、セファメジン一日四グラム」の記載に続いて、「ネチリン」を「ネリネリチン」と記載した明らかな誤記も認められ、また、右細菌検査報告書には、細菌薬剤感受性を検査すべき薬剤として本件で使用された他の抗生物質ネチリン(略号NTL)、カナマイシン(略号KM)の指示の記載もないことが認められる。

また、前掲乙第一号証の一、一二、一五、一七、一八、二二、二三、第三号証及び被告本人尋問の結果(第一回)によれば、A死亡後間もなく、原告X3の求めによりAの臨床経過や死亡原因について書き記して原告X3に送った死亡診断書(乙第三号証)には、一一月一日使用した薬剤について、「前回手術に使用したものと同一の抗生剤の点滴静注及び筋注を、更に内服を行う。」と記載されていること、また、昭和六一年九月二五日から一〇月九日までの診療録(乙第一号証の一)、同月一〇日から同月三〇日までの診療録(乙第一号証の一二)の裏面に投薬状況が記載されているが、昭和六一年一〇月二日手術の前後の投与薬剤名として「セフメタゾン」を「セファメタ」と誤記している記載があるものの、その余は「セフメタゾン」と記載されており、同年九月二五日から一〇月二七日までの看護記録(乙第一号証の一五)、被告医院事務員望月静代が投薬料金を計算した計算書(乙第一号証の一七)、一一月一日の投薬メモ(乙第一号証の二二)、被告医院事務員飯塚古都枝が記載した昭和六一年一一月一日の投薬記録(乙第一号証の二三)にはすべて「セフメタゾン」と記載され、「セファメジン」の記載はないこと、が認められる。

そして、被告は、本人尋問の際(第一回)、乙第一号証の一八のセファメジンの記載はセフメタゾンの誤記であり、以前はセファメジンを使用していたが、当時はセフメタゾンに替わって、被告医院にはセファメジンはなかった旨を供述しているところ、成立に争いのない乙第三三号証の一ないし三四及び弁論の全趣旨によれば、本件医療事故発生日である昭和六一年一一月一日を含む、同年九月一日から一一月三〇日までの三か月間に被告が株式会社スズケン静岡支店を通じて各製薬会社から購入した薬剤の販売実績報告書には、三共株式会社から、昭和六一年九月八日、九月一七日、九月二七日、一〇月一一日、一〇月二五日、一一月一四日、一一月二五日それぞれセフメタゾン静注用(二グラム一〇瓶)数量五を購入した旨の記載があることが認められるとともに、セファメジンを購入した旨の記載はないことが認められる。

(二)  以上の事実を総合すれば、被告が、昭和六一年一一月一日午前、午後の二回投与した抗生物質剤は、セフメタゾンであると認められる。

なお、証人岩井誠三の証言中には、二週間前に継続して使っていた同じセフメタゾンを一一月一日二回使用してアナフィラキシーショックが起こったと考えるよりも、この日新しくセファメジンを使用し、その二回目にアナフィラキシーショックが起きたと考える方が考えやすいとの証言部分があるが、右証言部分は一般的、抽象的な可能性に言及したにとどまるものであり、また、後記認定のとおり、Aのショックはアナフィラキシーショックではないことが認められるから、右証言部分は右認定を左右するものではなく、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

三  Aのショックの原因について

1  ショックについて

請求原因4(一)(1)、(二)(1)の事実は、一般論として当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、成立に争いのない甲第五号証の一ないし三、第六ないし一〇号証、乙第六ないし一五号証、第三二号証によれば、次の事実が認められる。

(一)  ショックとは、ある特定の病気、症候ではなく、生体に加えられた一定の侵襲に伴って発生する生体機能の広範な乱れを総称する症候群に与えられた名称であるため、これまで多数の定義がなされているが、その中心は、①循環血液量と心拍数の減少、②重要臓器への血流不足、又はこれらの臓器組織の酸素や他の栄養素の利用不能の二つである。

ショックは、その原因により、①出血性ショック、②神経性ショック、③細菌性ショック、④薬物ショック、⑤その他に分類される。

(二)  ショック状態に陥った患者に対する治療は、一般的なショックに対する治療とショックの原因によって特に必要とされる治療とが要求されている。

一般的な治療は、どのようなショックの場合にも必要であり、①気道の確保、②静脈の確保と輸液、③薬物の投与に大別される。薬剤としては、昇圧剤、強心剤、利尿剤、副腎皮質ステロイド剤等の迅速適切な投与が必要とされている。

個別的な治療には、各ショック原因の除去のための治療と各ショック特有の症状に対する措置が含まれ、失血性のショックでは止血措置と輸血、輸液が、細菌性ショックでは感染巣に対する手術等の措置と抗生物質の大量投与が、アナフィラキシーショックでは気道の早期確保が特に必要とされている。

(三)  細菌性ショックについて

細菌性ショックとは、感染が第一次的な原因となって生じるショックであり、グラム陰性菌、グラム陽性菌などの毒素によってもたらされ、敗血症性ショックとも呼ばれる。エンドトキシンショックは、グラム陰性菌を起炎菌とする細菌性ショックであるが、臨床的には、エンドトキシンショックの用語は、細菌性ショックないし敗血症性ショックと同意義に用いられている。グラム陰性菌によるものの方が、グラム陽性菌によるものより、ショックの発生率、死亡率はともに高いとされる。

細菌性ショックには、臨床症状や血行動態に相異なる二つの型がある。すなわち、①心拍出量増加、末梢抵抗低下を特徴とするハイパーダイナミック・グループ(ハイパーダイナミックな症状)で、血圧の軽度低下、悪寒戦慄、四肢熱感、過換気と呼吸性アルカローシスを特徴とし、予めハイポボレミアの認められない患者に発生した細菌性ショックの初期に多く見られる。次に、②心拍出量減少、末梢抵抗増加のハイポダイナミック・グループ(ハイポダイナミックな症状)で、血圧は明らかに低下し、四肢は冷たく、欠ないし無尿に陥り、血中の乳酸は増加して代謝性アシドーシスを呈す。重篤な細菌性ショックにみられることはもちろん、前者のハイパーダイナミック・グループでも治療が遅れたり不適切であると、このハイポダイナミック・タイプに移行する。このハイポダイナミックな循環は一見出血によるハイポボレミックショックに類似するが、細菌性ショックでのハイポダイナミックな循環の場合には細菌性因子の強い侵襲にさらされている点で根本的に異なるものである。

その治療は、①細菌毒素を放出する感染病巣の処置、②循環を改善して血中の毒素の排泄を促進、③抗生物質、④高率に合併しやすい心、腎、肺障害や消化管出血など重要臓器障害防止などが中心となる。

(四)  薬物ショック

薬物ショックとは、薬剤が原因となって生じるショックであり、薬剤投与後短時間内に発生する皮膚蒼白、冷汗、意識障害、血圧降下が発生する場合(ショック)の総称であり、これには、薬剤本来の薬利作用に基づく毒素の影響によるものと、薬剤を抗原として生じるもの(アナフィラキシーショック)とがあるが、通常薬物ショックというときは主にアナフィラキシーショックを指すことが多い。

アナフィラキシーショックは、組織肥満細胞の膜面に付着している抗体(レアギン抗体E型、IgE)と、体内に移入された抗原との接触を契機に発生する。膜面の二分子以上の抗体が二個以上の決定基をもった多価抗原に橋渡しをされる結果反応し、ヒスタミンなどの化学伝達物質を細胞外に遊離するためと考えられている。

アナフィラキシーショックの症状としては、単純なショックとしての循環動態の変動のほかに、アナフィラキシーショックに特有の反応、すなわち平滑筋攣縮、末梢血管拡張、毛細血管透過性亢進などが生じる。前駆症状として口内違和感、口唇のしびれ、咽頭部狭窄感、嚥下困難、くしゃみ、反射性咳発作、四肢末端のしびれ、心悸亢進、悪心、悪寒、耳鳴、めまい、胸部不快感、虚脱感、腹痛、尿意、便意、皮膚発赤、じんま疹などがある。その後に発生する①気道粘膜浮腫、気道狭窄による呼吸困難、チアノーゼ、並びに②血管透過性亢進、血管床拡大による血圧低下、脈拍頻数・微弱、意識障害の二つがアナフィラキシーショックの最も特徴ある症状である。

薬剤投与後極めて早い時期に発症するのも特徴で、大抵薬剤投与後五分以内、時には注射器を抜き終わらぬうちに発症するとされたり、大部分が一五分以内に発症するとされ、あるいはまた、注射では五ないし六〇分、平均三〇分以内に発症し、静脈注射では二ないし一一分で発症し、五ないし六〇分がピークとなり、経口投与では普通数時間後に発症するが、数分で発症することもあるとされる。そして、薬剤投与後、発症まで時間が短いほど症状は重い傾向があるともされる。

その治療は、発症後一〇分以内の処置如何で予後が大きく左右され、また、急性循環不全と気道狭窄に対する処置が第一選択とされる。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  Aのショックについて

(一)  セフメタゾンについて

成立に争いのない甲第二ないし四号証によれば、セフメタゾンは、セファマイシン系抗生物質・セフメタゾールナトリウムの注射用製剤であり、セフメタゾールナトリウムは、グラム陽性菌、グラム陰性桿菌、嫌気性菌に特に強い殺菌力を示し、「適応」として、敗血症、腹膜炎、肺炎その他各種感染症が挙げられ、その効能書には、「用法」として、通常成人には一日一ないし二グラムを二回に分けて静注又は点滴静注するが、難治性又は重症感染症には、症状に応じて、一日四グラムまで増量し、二ないし四回に分割投与するとされ、「一般的注意」として、「ショックなどの反応を予測するため、十分な問診をすること。なお、事前に皮膚反応を実施することが望ましい。」とされ、「禁忌」として、「セフメタゾールナトリウムによるショック既往歴のある者」とされ、「慎重投与」として、「ペニシリン系又はセフェム系(セファロスポリン系及びセファマイシン系)薬剤に対し過敏症の既往歴のある患者、本人又は両親、兄弟に気管支喘息、発疹、じん麻疹等のアレルギーの症状を起こしやすい体質を有する患者」などが挙げられ、「副作用」としては、「稀にショック症状を起こすことがあるので観察を十分に行い、不快感、口内異常感、めまい、便意、耳鳴、発汗等の症状が現れた場合には、投与を中止すること」、「発疹、じん麻疹、紅斑、掻痒、発熱等の過敏症が現れた場合には投与を中止すること」と記載されていること、また、副作用(臨床検査値異常を含む。)は、総症例二万五七九七例中七九九例(3.1パーセント)に認められ、その内訳は発疹などの過敏症状と、GOT・GOP上昇などの肝機能異常が過半数を占め、他のセフェム系薬剤に通常見られる副作用とほとんど差異はなかったこと、昭和六〇年四月から昭和六一年三月までに厚生省に報告のあった医薬品副作用モニターの報告によれば、セフメタゾールナトリウムが副作用を起こした疑いがあるとして死亡例(右報告にいう死亡例には感染症の併発も含むとされる。)二例が報告されているが、それがセフメタゾールナトリウムによるものか、疑われるもう一つの薬剤によるものかは明らかではないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  前掲甲第二ないし四号証、成立に争いのない乙第四、第一五、第二六号証、証人井上章、同土屋周二、同岩井誠三の各証言及び鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定の結果、被告本人尋問の結果(第一回、第二回)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) セフメタゾンは昭和六一年頃は年間一五〇〇瓶が販売され、年間一〇〇万ないし八〇万人に使用されていたと推定されるが、セフメタゾンによる明らかな死亡例の報告はほとんどなく、他方、Aにはアレルギー素因も認められないことから、セフメタゾン点滴静注によりショックが発現したという可能性は高くはない。セフメタゾンの血中濃度は、用量依存性があり、点滴静注の場合、点滴終了時に血中濃度は最高値に達するとする実験結果があるが、アナフィラキシーショックは必ずしも用量依存性はなく、むしろ用量依存性のないものが多い。アナフィラキシーショックの出現には、即時反応型と遅延反応型があるが、本件のように死に至る場合その多くは即時反応型を呈する。前記認定のように、セフメタゾンが一〇月二日から一五日まで合計三〇グラムが連日投与された間、抗生物質のショック様症状等副作用症状はなく、約二週間の間隔をおいて一一月一日午前一〇時過ぎに、前回と同様セフメタゾン二グラムを点滴静注した際にも副作用はなかったのにもかかわらず、同日午後四時頃からのセフメタゾン二グラムを点滴静注終了後、右点滴静注開始後三〇分以上経過した午後五時四五分頃から初めてショック症状を呈し、そのショック症状も、尿意を訴えたほか(ショックでなくとも大量の点滴の結果としてありうる。)、アナフィラキシーショックに特有の気道粘膜の浮腫、胸内苦悶等の呼吸症状がないことに対し、鑑定人(証人)土屋周二、同岩井誠三は、いずれもAのショックがアナフィラキシーショックであることを完全に否定はできないが、アナフィラキシーショックの発現の様相としては極めて異例であるとして、仮にアナフィラキシーショックとした場合、臨床上は予測不可能なものであると結論付けている。

(2) 他方、前記認定のように、一一月一日午前一〇時の診察の段階で、手術創の周辺に蜂織炎が存在し、患部を穿刺して検体を培養した結果グラム陰性桿菌を多数検出していることから、感染の存在は明らかであるが、本件においては、血液中の細菌培養が行われておらず、感染が局所にとどまっているのか、敗血症のような全身感染に至っているのかは明らかではない。また、細菌性ショックの初期にしばしば見られる四肢熱感、悪寒戦慄等の臨床症状を欠いていることは前記認定のとおりである。

しかし、グラム陰性桿菌敗血症六一二例のうちで、八三例(一三パーセント)が36.4度以下で発症し、その全例が経過中に36.7度以下へ上昇を示したものの、発症二四時間後も37.6度以下に止まる場合には、ショック発現率や死亡率が高いというクレーガーらの報告がある。

エンドトキシンのような細菌毒素を動物に急速に静脈内に投与した場合とか、臨床例でも急性胆管炎のような場合、たとえば種々の原因により胆管内に細菌が増殖している条件下で、豊富な胆管内血管に逆流して流血中に細菌毒素が浸入したときなどは、短時間内にショックに陥ることが知られており、この際、高熱や脈拍の変化などの諸症状を前兆または初発症状として呈することなく、ショックになることが少なくない。仮に、細菌感染が肛門周囲、下腹部から、さらに広範に急速に進展したとすれば、このような事態が発生する可能性がある。

また、蜂織炎は、粗鬆結合織(疎性結合織)に起きた炎症であり、粗鬆結合織は非常に緩やかな結合組織であり、細菌の感染がそこを覆うと増殖、拡大し、時には小骨盤腔、後腹膜腔などまで広がることがあることが知られている。これは、フォーニャ症候群といわれるものと同一ないし類似の病態である。糖尿病や悪性腫瘍に罹患しているなど、免疫力、抵抗力が低下している場合、感染が急速に拡大し非常に重症化するが、そうでない場合でも起こる。一日のうちに死への転帰をたどることは稀ではあるが、可能性はある(但し、本件において、Aの死後の解剖がなされず、感染病巣の範囲は不明である。)。

そして、前記認定のように、本件において、午後四時の診察の段階では蜂織炎が更に広範囲に拡大していることから、進行性の激しい感染と認められる。穿刺した液中から検出されたグラム陰性桿菌が細菌感染の原因菌であるとした場合(但し、本件において、血中のエンドトキシンの検査はなされていないので、原因菌の特定はできない。)、エンドトキシンを産生する可能性は高い。また、Aは、昭和五六年三月九日敗血症の疑いで大分赤十字病院に約一か月半の間入院し、入院後数日間は四〇度の発熱が続いたことなど(但し、血液培養するも、起炎菌等の同定はなされないままとなった。)が認められるから、Aにも免疫不全の状態があった可能性を完全には否定できない。

(3) ショックの原因は消去法で判断されるところ、本件において、出血性ショック、心原性ショックなどが否定されることから、Aのショックの原因は細菌性ショックか、アナフィラキシーショックのいずれかであることになるが、鑑定人土屋周二、同岩井誠三はいずれも、結論としてはどちらとも決定することできないとしながらも、鑑定人土屋周二は重症感染症による細菌性ショックの可能性を、鑑定人岩井誠三は殺菌性抗生物質(但し、本件で使用されたネチリンの感受性は不明。)による多量の菌体内毒素の放出による細菌性ショックの可能性をそれぞれ鑑定において示唆している。

以上の事実が認められ、証人岩井誠三の証言及び被告本人尋問の結果(第一回、第二回)中右認定に反する部分は、前掲各証拠及び前記認定事実に照らし信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  以上の事実を総合して考慮すれば、Aのショックは、その発生の機序は明らかにできないものの、細菌性ショックと推認するのが相当である。

四 被告の責任について

1 ショック発現後の被告の対応の過失の有無について

原告らは、Aのショック発現後、被告がその対応に誤りがあった旨主張するので、以下に検討する。

(一) 気管内挿管について

本件において、気管内挿管がされたのは午後八時二五分になってからであることは前記認定のとおりである。

しかし、被告は、午後六時少し前看護婦からの連絡を受けて点滴室に入り、Aの血圧の低下を確認した後直ちに静脈(内服液注入経路)を確保するとともに経鼻カテーテルにより酸素供給を開始していること、その後の午後六時一〇分過ぎに応援に駆け付け来院した、麻酔科標榜医の資格を有する井上医師と共同してAの呼吸管理を含めた救命処置に当たり、その後、午後八時過ぎチアノーゼが現れ、肺水腫を思わせる嘆鳴が認められたことから、その時点で気道確保を必要と判断して、午後八時二五分頃井上医師により気管内挿管が行われたこと、本件ショック発現当初段階Aに意識もあり、気管内挿管がなされるまで呼吸困難はなく、自発呼吸が認められたこと、そして、この間、本件ショックは一旦回復の兆しをみせるなど比較的緩徐に進行したことは前記認定のとおりである。

証人井上章、同土屋周二、同岩井誠三の各証言、鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定の結果によれば、自発呼吸があり、チアノーゼなどの症状が現れていない状態においては気管内挿管は必要なく、酸素を供給するだけで十分であること、逆に、意識のある場合は患者が苦しがって挿管もしずらいこと、鑑定人岩井誠三自身は、急激に気道閉塞状況が起こるアナフィラキシーショックのような場合には、患者の意識がなくなった時点で気管内挿管をするように指導していることが認められる。

これらの事実を総合すれば、ショック発現から二時間余り後の午後八時二五分になってから気管内挿管がなされたことが不当とはいえない。

(二) ノルアドレナリンについて

本件において、強力な昇圧剤ノルアドレナリンが使用されたのは、午後八時以降のことであることは前記認定のとおりであるが、それ以前に、Aの臨床症状を確認しながら、午後六時過ぎにカルニゲン一アンプル、午後六時三〇分頃ソル・コーテフ五〇〇ミリグラムとともにカルニゲンとエホチール各一アンプル、午後七時三〇分頃ソル・コーテフ五〇〇ミリグラムとともにエホチールとイノバンを各一アンプルを投与していることも前記認定のとおりである。

前掲乙第六号証によれば、昇圧剤としてアドレナリン(商品名ボスミン)、ノルアドレナリン、イソプロテレノール(商品名プロタノールL)、マラミノンなどのそれぞれの適応が説明され、前掲乙第一二号証によれば、アドレナリン、イソプロテレノールが紹介されていることが認められる。

しかし、前掲乙第一四号証によれば、ショック治療に臨床でよく使われる昇圧剤のうち、「具体的にどの製剤を選ぶかは医師の好みも多少入るが、筆者は心拍出量を増やすために強心剤のジギタリスと(ともに)カルニゲンをまず使用し(頻脈がない例にイソプロテレノールも適応)、速やかな効果がない症例にはドパミン(商品名イノバンなど)、メタラミノール(商品名アラミノン)、ノルエピネフリン(商品名ノルアドレナリン)などを使用している。この際副腎皮質ステロイドを併用すると昇圧剤の量を減少できる。」と説明されていることが認められる。

前掲乙第一四号証、証人井上章の証言によれば、昇圧剤には、交感神経のα受容体に作用する薬剤、β受容体に作用する薬剤、両方に作用する薬剤に分類されること、β受容体に作用する薬剤は、心筋に作用して心臓の拍出力を強めて血圧を上昇させるのに対し、α受容体に作用する薬剤は末梢の血管を強く収縮させて血圧を上昇させるが、腎臓などの重要臓器の血管も収縮され障害が生じるおそれのあること、井上医師自身が、通常、第一選択として使用するのは、α、β受容体の両方に比較的穏和に作用するカルニゲンやエホチールであり、その次に使用するのは、β受容体に最初作用し、量が増えればα受容体に作用するイノバンであること、急激な血圧低下により危険な状態にある場合には、とりあえず脳や心臓血流を保つために、α受容体に作用するノルアドレナリアンを使用すると説明していることが認められる。

証人土屋周二、同岩井誠三の各証言、鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定の結果によれば、アナフィラキシーショックの場合、急激発症後、特に呼吸障害が現れた場合などにエピネフリン(商品名ボスミン)等を使用するのが有効とされているが、本件においては症状から見てアナフィラキシーショックと判断することはできないから、使用しなかったことが不当であったとはいえないこと、エピネフリンなどの昇圧剤はかえって血管収縮によりショック病態の増悪につながることもあり、複雑な要因の関与するショックの臨床例では、これらの薬剤を症状に応じて投与し、その症例を観察しながら中止までは反復、継続すべきものであること、また、本件において、血圧低下に際して一般に使用される薬剤であるカルニゲン、エホチール、イノバン等が通常の量投与されていることが認められる。

なお、証人岩井誠三の証言中には「第一選択として、アドレナリンを使うというふうにして」いる旨の供述部分があるが、鑑定人岩井誠三自身が行うショック状態を示した患者に対する救命方法について述べたものにすぎず、鑑定人岩井誠三の鑑定結果中には、「本件の場合昇圧剤としてアドレナリンを第一選択としなければならない理由は認められない」との記載があり、右記載の内容は証人岩井誠三の証言においても否定されていないことは明らかである。

以上の事実に前記認定の臨床経過を総合すると、被告が午後八時以降になってノルアドレナリンを使用したことが不当とはいえない。

(三) ソル・コーテフの投与について

前掲甲第五号証の一ないし三、乙第六、第一二ないし一四号証、第三二号証、証人土屋周二、同岩井誠三の各証言、鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定によれば、昭和六一年当時、出血性ショック以外のショックについて、副腎皮質ステロイド剤の早期、大量投与が一般的な治療法であり、現在でも早期、大量投与は否定されていないこと、細菌性ショックについては、悪寒戦慄や菌血症、エンドトキシン血症などが認められたら、血圧が明らかに低下するのを待たずになるべく早くハイドロコーチゾン(商品名ソル・コーテフ、サクシゾン)で一ないし二グラム/五〇キログラム体重をゆっくり静注(または点滴静注)するとされたり、あるいは極早期に、すなわち低血圧を感知したら直ちに投与することとされており、アナフィラキシーショックについても本質的な違いはないこと、ソル・コーテフの場合、ショック発現時の初回投与量として五〇〇ないし一〇〇〇ミリグラムが当時一般的であり、証人岩井誠三自身は現在でも五〇〇ミリグラムの投与を指導していること、証人土屋周二自身は一〇〇〇ミリグラム前後、一般にも五〇〇ミリグラムとか、三〇〇ミリグラムを投与していること、一旦ショックが発生すると投与時期が遅れるほどその効果は期待し難くなること、本件において、ショック発現後一旦最大血圧が九〇ミリメートル水銀柱に上昇しているのは、ソル・コーテフの効果と考えても矛盾しないこと、証人岩井誠三は、本件において、ショック発現当初の段階でソル・コーテフ五〇〇ミリグラムとアドレナリンが投与されていた場合、救命の可能性に答えることは難しいとしながらも、反応の仕方は違ったであろうとの意見を述べていること、そして、前記認定のとおり、Aのショック状態を確認した被告が直ちに投与したソル・コーテフの量は一〇〇ミリグラムのみであり、更に五〇〇ミリグラムが投与されたのは午後六時三〇分以降であるが、当初の少量投与は明確な投与方針に基づいてされたわけではないことが認められる。

以上によれば、右投与の仕方は、ショック状態を確認した上での治療処置としては当時及び現在の医療水準に達していないという点において不適切なものであったと認めるのが相当である。

しかしながら、前掲各証拠によれば、副腎皮質ステロイド剤は、本来、ショック増悪因子に対し抑制効果を持つにすぎず、それゆえ起死回生のものではなく、また、ショックの原因、重症度、その他の処置が予後に大きく関係するのが一般であること、副腎皮質ステロイド剤を投与した場合、アナフィラキシーショックの死亡率が二〇パーセント低下するとの報告もあるが、それが副腎皮質ステロイド剤の効果であるかは判然としてないこと、臨床上は、大量投与が推奨されるので、その推奨に従って使用されている側面があること、細菌性ショックについては、副腎皮質ステロイド剤の大量投与に対して最近見直しの提言もなされており、一概に量が少なかったから死亡を早めたとは言い切れないこと、また、本件において、前記認定のとおり、井上医師らの応援を求め、井上医師が駆け付けた後は、被告は井上医師と共同して午後六時三〇分頃にはソル・コーテフ五〇〇ミリグラムを投与し、午後七時三〇分頃同じく五〇〇ミリグラム、午後八時三〇分頃同じく五〇〇ミリグラム、午後九時一五分頃同じく五〇〇ミリグラムを投与していること、また、Aのショック発来時、Aに重篤感等もなく、本件ショックは一旦回復の兆しをみせるなど比較的緩徐に進行したことも認められる。

さらに、証人土屋周二、同岩井誠三の各証言、鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定の結果によれば、副腎皮質ステロイド剤(ソル・コーテフ)の早期、大量投与の点を除いて、ショックに対する薬剤は、一般に使用されているものが通常の量投与使用されていることが認められ、前記認定のとおり、ショック発現後の呼吸管理にも不当なところはないことを総合すると、本件において、被告がソル・コーテフを早期、大量投与しなかったことは前記のとおり不適切なものと指摘はできるけれども、これをもって、ショック治療に当たる医師として通常要求される注意義務に違反した過失があったとまでは認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(四) なお、再入院後から容態の急変、死亡までの間、血圧、脈拍、呼吸、体温等のバイタルサインを経時的に測定し、記録すべきであり、容態が急変して(ショック状態に陥って)からはより詳細に測定、記録すべきところ、前掲各証拠によれば、看護婦による体温表の記載がされていないのみならず、右経時的に測定された記録がほとんどなく(乙第一号証の二〇、二一、第二号証の二〇、二一は事後に作成されたものであり、不完全、不十分なものである。)、鑑定人土屋周二の鑑定の結果によれば、「本件では診療録に血圧、脈拍の変化について詳細な経過が記載されておらず、またこれら薬剤の効果について、ソル・コーテフが一過性に血圧上昇に有効だったこと以外は明らかでないので、これらの投薬が妥当だったかどうか判断するのは困難である。」とされ、鑑定人岩井誠三の鑑定の結果によれば、「ショック状態発現以後の呼吸状態の記録のない本件において、ショック治療薬の使用における量的、質的良否の判断はなし得ない。」とまでされ、被告が右経時的な測定、記録を怠ったことは不手際といわざるをえない。

しかしながら、右の不手際を理由に直ちに午後五時四五分以前の段階でショックの前駆症状を把握できたとか、ショック発現後の呼吸管理や、投薬(副腎皮質ステロイド剤の早期、大量投与の点を除く。)が不適切であったことを推認するに足りず、他にこれを推認するに足りる的確な証拠はない。

2 細菌性ショックの発来についての過失について

原告らは、Aが本件手術後も原因不明の発熱が継続し、一〇月二七日の段階ですら三七度を越す発熱があったものであるから、被告には、その原因が特定しうるか、熱が平熱に戻るまでは、入院を継続させて経過観察ないし治療を継続すべき義務があったと主張するので、以下に検討する。

Aは、手術後、手術創の疼痛があったものの術後の経過が良好で、開放創も順調に上皮化して縮小する傾向を示したこと、入院期間中、最高三七度七分(一〇月一五日夕、同月一八日昼)の発熱があったが、退院近くは三七度前後に落ち着き、同月二八日三七度二分の発熱があったが、被告は退院に問題はないと判断して同日Aを退院させたこと、退院後、朝夕二回Aを診察したが、一〇月三一日までの通院期間中、Aに異常所見は認められなかったことは前記認定のとおりであり、また、被告本人尋問の結果(第一回)によれば、被告は、静岡市内の患者の場合、相当大きな痔瘻でも二〇日以上入院させることはほとんどないこと、被告医院には風呂の設備はなく、ホテルで風呂に入った方が患部によいと被告自身考えていること、退院の際には、患者に対し、排便後必ず風呂に入り、処方した消毒ガーゼを当てることなど生活上の注意を指示していることが認められる。

証人土屋周二、同岩井誠三の各証言、鑑定人土屋周二、同岩井誠三の各鑑定の結果によれば、Aには、入院中の、一〇月一八日以降も時々軽度の発熱があったが、一般に、深部広域複雑痔瘻の開放性手術創では創表面の細菌を消滅させることは困難であり、軽度の感染による軽度の発熱は経過中しばしば見られるもので、この程度の発熱は異例のことではないこと、手術後七日程度経てば創面は肉芽組織が発生し、創の深部に汚物や滲出した創液が貯留し、外部への排出が困難な状況が特にない限り、新たに創の周辺の深部に感染が広がることはなく、肉芽組織によって防御されているのが通例であり、このため通院とし、自ら坐浴・入浴等を施行せしめることは広く行われており、このこと自体がここからの感染を重篤にさせる原因とは考えられず、一〇月二八日以後通院治療としたことは強ち不当とはいえないことが認められる。

右によれば、原告らが主張するような右義務があったとはいえず、この点に関する原告らの主張はその余の判断に及ぶまでもなく採用できない。

3 以上に述べたところによれば、被告のAに対する治療処置に関して、被告にAの死亡と因果関係のある過失が存したものと認めることは困難である。

五  結論

よって、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丸山昌一 裁判官金光健二 裁判官大﨑良信)

別紙投薬状況一覧表〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例